去年の10月ごろ、仲間内でえびす会館の親方の訃報を知る。
もともと入院してたりというのは知っていましたが、あまりに突然の知らせでした。
今日、お別れの会に参加させていただいて、知らなかったことに触れることになります。

私がえびす会館に行ったのは人力で玉上げしている頃。もっとその前から活動されてたということ。

人力の頃は2~3回ほどしか行っていないので、その後のコの字で営業してた時がメインになります。
これは、人力より前のいわばプロトタイプのとき。

親方とはミサイル7-7-6Dで意気投合。名刺にもミサイルの画像を差し込んでいるぐらい好きだったので、行ったら必ずミサイルを打って帰るというのがパターンでした。

実は、このえびす会館以前から交流があったことを後で知ることになります。
大学の視聴覚教室で作った「ミサイル狂の詩」というHP、親方が知っていてくれて、投稿もずっとしてくれてたとのこと。それを随分後で知ることになります。
もともとえびす会館は土曜族で、土曜の午前中に台を入れ替えてたので、説明してくれながら台の扱い自体はそんなに難しくないんだよと教えてもらって、いまのコレクションに至ります。なのでえびす会館、親方と出会っていないとレトロのコレクションはしていないことになります。
その後、動画作成やコレクションを通じて、えびす会館閉館後の有志での集まりなど、活動上でのお付き合いもあり、今日に至るわけです。なので、源流はすべてえびす会館、親方、ゆきちさんとつながります。
パチンコ文化を残したいというのが親方の想いだったので、それなら動画で残すのはどうかということで私の活動が始まったわけです。
タンポポぱちんこ物語の動画中で杉本さんが「自分のコレクション台を人が打ってるのをみて、これだな、と思った」というのが自分もあって、台の提供をさせていただきました。最初は用意したものを打ってもらうスタンスだったのを会員の提供される台も置いてもらってというに切り替えられています。
恐らく、それが無かったら、台の購入してなかったかもしれません。マンションなんで打てないのをえびす会館に持っていって打たしてもらう、それを他の会員さんにも打ってもらうということができました。
そうやってレトロ台に繋がる中に必ずと言っていいほどえびす会館、親方、ゆきちさんへとつながっていきます。
今年5月でミサイルが出てから30年になるので、動画を作っていますが、親方が喜びそうな動画にしたいと思います。たぶんマニアックすぎて親方だけ喜んでくれるとおもうけど(笑)

えびす会館で使ってた、初期の台立て。確か溶接してもらってネカセも変えれるようにネジがあるんですよね。
ずっと大切にしています。


コメント
親方さんとは言葉じゃ表せない位お世話になりました。
イカ焼き屋さん・自宅の引越し・コレクターさんオフ会…etc
思い出すと涙が…
親方さんありがとうございました。
数々の思い出ばかりですよね。また色々形にしていきたいと思います。